ミヤケマイ《ブーフーウーの藁の家》の一日家主を募集いたします。
Home Less is Home Full
家とは何か
懐かしく
退屈で
安心できる
日常だ
という幻想
家は自分を外界から守ってくれる
自然の脅威から
悪い人たちから
怖いことから
そう信じたい人達がいる。
雨を感じ、風の匂いに季節の変わり目を察し
目の前にある自然の美しさ
その非情さ豊さを
触れ合うことができたかもしれない
色々な人から
世の中の自分の知らないことから
私達を遠ざけてしまう
家は綺麗な荊棘の檻
私の家が
私を甘やかし閉じ込める
私から可能性と進化を奪っていく
ふとその淀んだ平和が怖くなり
どこか知らないところに
行きたくなる。
三びきの子豚のブーフーウー、
藁のお家は吹き飛んで、板のお家は壊されて、
レンガの家だけ残ったとさ。と言われいるが
古来の日本家屋は南方系の建築様式で
窓硝子もなく、壁もなく、可動式のパーテンションで
風通しがよく、プライバシーのない、おおらかな
生活様式は藁の家そのものだ、
壊しやすい、自然から最も隔てられていない
他人の視線とも共生する家に住んでみて欲しい。
生えている木をそのまま床柱として使い、廬のような
茶室のような、そのまま大地から生えてきたようなうち。
そこには家主が家を守り来る人を迎え入れます。
現代においては建売の全く同じ家、
マンションの無数に続く同じ間取りの部屋
ホテルに住む人々、家を何軒ももち季節で移動する人々
何を持って人は自分の家だと判断しているのだろうか?
見慣れた自分の持ち物や人がいる場所がどうも自分の家のような気がする。
買い換えることのできないもの、どこにでもないもの、ないと困るもの、愛着のあるもの、思い出を抱えたもの、そんなものがあるところが自分の家だと感じられるという推論の元家主は自分の家から自分の家に不可欠なものを持ってきて飾ることを家主最低原則とする。
不在時は不在を知らせ、トイレなどは美術館のものが借りられる。家主はじぶんの自宅同様誰を招くかは決めていい。表札を出すこと、家主の名前としつらえと活動内容共に来客記録日誌を毎日滞在中は記録を残すことがこのプロジェクトの家主の3大原則とする